いちリサーチャーの日記

勉強の記録や自分の生活の観察、考えたことなど

コロナウイルスと断絶とマーケティングリサーチ

コロナウイルスが猛威をふるっていて、いろいろなことが起こっている。

その事々に対して、自分の周囲の人が異なる反応をしていて、「属性によって反応が異なるのだな」とか「ある集団の一員に見えているものが、集団外の一員には全く見えないのだな」と感じた。


例えば2月28日、小中高の休校が発表された。

該当のお子さんを持つ人が、明日からの子供の世話をどうするか、仕事をどうするか、学童は、祖父母は・・・と考えてざわざわしている一方で、未婚の若い人が「明日から超ディズニー混むね!」と言っていた。


Twitterでこの機会にと良質なオンライン学習が紹介されていた一方で、学童に子供を通わせている人が「学童には宿題を持っていかせなければならなくて、紙の教材が必要だから進研ゼミをやらせていて良かった」と言っていた。(学校からi-padの配布があるような先進的な地域の人だ)

 

これはどちらが悪いという話では無くて、ある程度の解像度を持って知らないものに対しては、人は想像することができない(あるいはその想像が的外れになる)ということなのだろう。


組織において多様性が求められているのは、世の中のいろいろな事々に対して、解像度高く考えられるようにするためなんじゃないかと感じた。なので組織における性別や年代や国籍などの属性を豊富にしても、その生活がほぼ一様であれば多様性のある組織とは言えないのではないだろうか。


悪気はなくても断絶はある。


断絶を埋めるのは、「自分の見えている世界が全てではない」と考えることと、自分の見えていないものを知ろうとする行動なのかなと思った。

見えないものの片鱗に触れたり、それらを見えない人のために可視化することができるので、自分はFGIをはじめとしたリサーチが好きなんだろうなぁ。